真木和(まきいずみ)の死因は乳がんでした。

闘病生活や晩年についてまとめました。

 

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真木和(まきいずみ)の経歴プロフィール

画像引用:https://www.oricon.co.jp/article/587588/

 

名前:真木和(まき いずみ)

生年月日:1968年12月10日

2018年10月18日死去。享年49歳

身長:161cm

体重:44kg

出身地:愛知県越智郡波方町(現在の愛知県今治市)

学歴:愛知県立今治北高等学校卒業

 

 

真木和さんは高校に入ってから陸上を始めます。

めきめきと実力を発揮し、1987年愛知県立今治北高等学校を卒業するとワコールの実業団に入社します。

入社後は駅伝競走や長距離トラック競技で活躍し優勝するなど所属チームに大変貢献されました。

 

1991年、世界陸上東京大会で初の代表に選出されます。競技種目は女子10000m。

 

同時期、一緒に活躍していた五十嵐美紀さんと、ともに決勝進出しますが、2人とも初めて出場する世界大会のプレッシャーから本来の走りを見せることができず真木和さんの結果は20位、五十嵐美紀さんの結果は16位に終わってしまいます。

 

 

1992年には10000mの日本新記録を達成し、日本陸上競技選手権大会では優勝。

バルセロナオリンピック女子10000m代表に選ばれ本番では、世界陸上同様、五十嵐美紀さんと一緒に決勝へ進みます。

 

 

世界陸上の時の悔しさから、真木和さんと五十嵐美紀さんは前半積極的な走りを見せますが、後半ではペースがダウンしてしまい真木和さんは12位、五十嵐さんは14位という結果になりここでも悔しい思いをします。

 

 

その後、マラソンへと種目を転向し、2度目のオリンピックはアトランタ大会で女子マラソン種目の日本代表となり2大会連続で五輪出場をします。

2度目のオリンピックは足の怪我を抱えての出場となり、こちらもバルセロナ五輪に出場した際と同じ12位という成績で終わります。

この時の怪我が完治しなかったため、引退を決意しワコールのコーチとして就任し選手の指導に力を入れられました。

 

 

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真木和のガンの種類

乳ガンから肝臓ガンへ転移

 

 

真木和の闘病生活

2002年9月、フジテレビ系列「関西テレビ」の当時、編成局知財推進部部長であった山岡重行さんと結婚し、2003年に長男を出産した翌年2004年、年末に初期の乳ガンが発覚します。

 

 

手術を受け抗ガン剤の治療などで一時期は体調が好転した時期もあるようですが、死去されるまでガンであることや闘病しているということは、一切公表されておらず、死去された後もあまり詳細は公表されていません。

 

 

真木和さん、弘山晴美さん、伊東(旧姓:鈴木)博美さん、松野明美さん、この4人は同期生で「四天王」とも呼ばれており、ともにライバルでもあったがとても仲がよく引退後も親交は深かったそうです。

そんな友人やマラソン関係者にも闘病していることは一切知らせることなく、気丈に振る舞っていました。

2006年に開催された、名古屋国際女子マラソンでは同期生である弘山晴美選手が、出場したため鈴木博美さんとともに、応援に駆け付けます。

弘山晴美さんは見事に優勝。

ゴール後、抱擁を交わしている姿がとても印象的でしたが、乳ガンの手術後ということになりますね。

 

 

この際も笑顔の裏で、つらい闘病生活をされていたのでしょうか。

その後も入退院や通院を繰り返しながら、強い気持ちで闘病生活をされていた真木和さん。

2016年3月、自宅のある大阪府箕面市で開催された地域のマラソン大会などでもゲストランナーとして参加されていて元気そうに走る姿を披露されています。

しかし、2017年頃になり肝臓などにガンが転移していることがわかります。

 

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真木和の晩年

肝臓ガンの転移が発覚し2018年に入り体調を崩し入院。

その後も入退院を繰り返しながら闘病生活を続けます。

2018年10月7日、再び検査入院となりました。

 

 

その際の結果を受け止めた真木和さんは自宅で最期を過ごしたいということを医師や家族に伝えられたそうです。

この本人の希望により、10月13日に退院され、大阪府の北部に位置する箕面市の自宅に戻られます。

 

 

しかし、自宅に戻り家族と過ごす生活がはじまり、わずか5日後、2018年10月18日、自宅で死去されました。

最期は夫である山岡重行さんや息子さんなど家族に看取られながら、安らかに眠るように息を引き取られたそうです。

享年49歳という若さでした。

 

友人や関係者にも公表していなかったため、多くの国民にはもちろん、近い友人や関係者にもとても大きな衝撃が走るとともに、ショックな知らせとなり多くの追悼のコメントが寄せられました。