中村勘三郎の死因は食道がん?

発症から闘病生活までをまとめました。

 

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十八代目中村勘三郎の経歴プロフィール

画像引用:http://www.asahi.com/photonews/gallery/kanzaburo/120312.html

 

名前:中村勘三郎(本名は波野哲明)

生年月日:1955年5月30日

出身地:東京都

身長:165cm

体重:65kg

妻:波野好江

 

十八代目中村勘三郎は、十七代目中村勘三郎の長男としてこの世に生を受けます。

3歳のときに、歌舞伎座「昔噺桃太郎」の桃太郎で五代目中村勘九郎を襲名して初舞台を飾ります。

 

 

以後は過去の概念にとらわれない様々な仕事をしていきます。

1990年には、8月は休演することになっている歌舞伎座で納涼歌舞伎をやったり、1994年5月にはシアターコクーンでコクーン歌舞伎を上演したりします。

2004年7月には、ニューヨークのリンカーンセンター内に平成中村座を構え、夏祭浪花鑑を上演しました。

以後はドイツやルーマニアなどでも公演を行いました。

2005年3月には十八代目中村勘三郎を襲名し、精力的に仕事をこなしていきます。

また、歌舞伎だけではなくて大河ドラマ「武田信玄」や「元禄繚乱」に出演したり、第50回紅白歌合戦では白組の司会をしたり、数多くのバラエティ番組に出演したりと多岐にわたって活動をしていました。

私生活では、1980年に七代目中村芝翫の次女の好江と結婚し、二人の子供を授かります。

後の六代目中村勘九郎と二代目中村七之助です。

 

 

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十八代目中村勘三郎のガンの種類

食道癌

 

 

十八代目中村勘三郎の闘病生活

2012年5月末日に平成中村座長期公演が終わりました。

その後に受けた健康診断で、初期の食道癌にかかっていることが判明しました。

食道癌にかかってしまうと、食べ物が飲み込みづらくなったり、声が出しづらくなったりと歌舞伎役者にとっては、職業の観点からもとてもつらいものです。

年内の休養が発表されましたが、

7月の平成中村座の千秋楽にサプライズで出演を果たしました。

しかし、これが公の場での最後の姿になります。その後に癌の摘出手術を行いました。同じく食道癌にかかった桑田佳祐さんと同じドクターが手術を行いました。

 

12時間にも及ぶ長時間の大手術だったといわれています。

手術後は、いったんは病院内を自力で歩くことができるまで回復をしましたが、肺の病気にかかります。

抗がん剤治療によって身体の免疫が低下し、ウイルスに感染し、肺炎にかかります。

さらにひどくなって、肺水腫になります。

肺水腫になると、気管支や肺胞と呼ばれるところに水がたまって、自力で呼吸をすることが困難になります。

そのため、肺に酸素がきちんといくように人工呼吸器をつけなければいけない状況になりました。

 

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十八代目中村勘三郎の晩年

治療を行ってきましたが、その甲斐なく12月5日に急性呼吸圧迫症候群によって病院で息を引き取りました。

57才という若さでした。

最期は、家族の他に女優の大竹しのぶさんや演出家の野田秀樹さん、野球評論家の江川卓さんといった親交の深かった人に看取られたといわれています。10日に通夜が営まれ、700人を超える人たちが弔問に訪れました。

11日に、告別式と葬儀が行われ、500人を超える人たちが参列をしました。

27日には築地本願寺で本葬が営まれて、一般の弔問客が1万人を超えて、焼香には2kmにわたる列をつくりました。

 

このことからも多くの人に慕われていて、歌舞伎界の宝が亡くなってしまったという悲しさの大きさが分かります。

宝でありながらも、2009年には子供の結婚式でうれしすぎてお酒を飲み過ぎてしまい、予定されていた記者会見をキャンセルするという普通のお父さんという姿もありました。

 

2010年に特発性両側性感音難聴というストレスなどが原因でかかる病気になりましたが、2011年に回復して復帰を果たしました。しかし、食道癌や肺の病気に勝つことはできませんでした。

 

57才という早すぎる別れが惜しまれます。